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旧喜連川町の歴史

掲載日 令和3年12月20日 更新日 令和4年2月2日
年表
紀元前25C~15C 河戸・穂積などの各地で縄文人が生活文化を営む
5C末~6C頃 鷲宿西原などに古墳が盛んに造られる
6C~7C頃 葛城に古墳や横穴墓が造られる
8C中頃 諸国に国分寺が、奈良に東大寺大仏が造られる。東大寺封戸2,000戸のうち、塩谷郡片岡郷に50戸が宛てられる
8C末頃 陸奥国に異変が続き、東山道を往き来した征東副将軍佐伯宿弥葛城がその路次に卒去する
11C末頃 後三年の役に鎮守府将軍源義家が下向する、その道筋を将軍道と呼ぶようになる
12C末頃 塩谷少将惟頼が源平宇治川合戦に参加する塩谷五郎惟広が源義経に属して平家を追い、摂津一の谷合戦などで成功を挙げる
13C後半 専念寺に鉄造阿弥陀如来立像が安置される
14C初頭 塩谷ノ庄の年貢が藤原摂関家に送られる
14C前半 穂積小郷野に嘉暦4年紀の板碑が造立される
15C前半 「義経記」に狐川(きづかわ)の名が見える
15C中頃 足利成氏関東公方となる。成氏、上杉氏と争い下総古河に拠る
15C末頃 塩谷・狐川の地を道興准后が訪れ、2首の歌を詠む
16C中頃 五月女坂の合戦  塩谷惟朝・朝吉父子、尾張津島の牛頭天王宮を歓請
1583年 古河5代公方義氏死去、氏女擁立される
1590年 喜連川塩谷氏が滅び、再興足利氏が喜連川に入部(初代国朝)
1592年~ 秀吉朝鮮出兵。国朝参陣のため肥前名護屋に赴く途中、安芸広島にて急死する(弟頼氏後継)
1666年 4代昭氏、龍光院境内に廟を建立、祖尊氏の像を安置する
1696年 水戸彰考館、喜連川系図(判鑑)を写しとる
1727年 6代成氏、正月参府の節、強弓を射て将軍の御覧に供する
1817年~ 金枝村で荒地開墾のため越後の人を招く。以後、越後・加賀からの移住者増える
1861年 12代縄氏、水戸家より入り、家督相続(慶喜弟)
1879年 喜連川警察署設立
1889年 大日本帝国憲法発布。市町村制により喜連川町・上江川村が誕生
1902年 喜連川・氏家間人車鉄道開通
1907年 町内に大火、本町・下町の大半が焼ける
1914年~ 第一次世界大戦
1918年 喜連川自動車馬車株式会社設立
1936年 お丸山に新道(早乙女の桜並木)桜を移植する
1941年 太平洋戦争
1955年 新喜連川町誕生(喜連川町・上江川村合併)

 

鎌倉公方(くぼう)から古河公方そして喜連川公方へ・・・

足利尊氏は京都に幕府を開くとともに、次男基氏に関東十カ国を与え、鎌倉を拠点として鎌倉府を開かせた。鎌倉府の長官は鎌倉公方(関東公方)と呼ばれ、関東管領上杉氏に補佐され関東の政務を主導したが四代持氏(もちうじ)は将軍義教と対立し、管領上杉憲実(のりざね)にも離反され、永享十一年(一四三九)鎌倉公方家は滅亡した。その後、関東諸将の要望により持氏の子・成氏(しげうじ)が鎌倉公方として復活したが、上杉氏の支持を失い、古河に移り古河公方と称された。
古河公方家は、初代成氏から五代義氏まで命脈を保ったが、天正十年(一五八二)義氏は九歳の氏女(うじひめ)を残して没し、一二八年間続いた古河公方家は断絶した。
一方、古河公方二代政氏の次男義明は、下総小弓城にあって勢威を振い小弓(おゆみ)公方と称された。義明は国府台(こうのだい)の戦において討死したが、三男国王丸と二姫は安房館山の里見氏に保護された。国王丸は成人して頼純(よりずみ)と名乗り、その娘・嶋子は縁ありて喜連川塩谷氏十七代惟久(これひさ)に嫁ぎ、美貌の城主夫人として名声が高かった。
天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉は小田原城攻略に際し、関東の諸将に参陣を命じたが、惟久はこれに応じなかったために秀吉の怒りに触れたと察知し出奔、惟広以来十七代四百年続いた喜連川塩谷氏は滅亡した。
その際、惟久夫人嶋子は宇都宮に陣した秀吉を訪ね、惟久に二心ないことを弁明し許しを請うた。好色家の秀吉は美人の嶋子を寵したため喜連川三千五百石を嶋子の化粧料としてこれに与えた。
また、秀吉は古河公方家の断絶を惜しみ古河公方義氏の遺子・氏女(うじひめ)に嶋子の弟国朝を配し、古河公方家の再興と嶋子が化粧料を国朝に譲ることを認めた。
国朝は秀吉の朝鮮出兵に応じ出陣の途次安芸国において急死したため、秀吉は国朝の弟頼氏(よりうじ)と氏女をめあわせ襲封させた。
頼氏は喜連川に居館を定め「喜連川」を氏としたため「喜連川公方」と尊称された。
江戸時代、徳川幕府は、喜連川氏を足利将軍家の後裔の中で、唯一の大名として格式十万石・実高一万石、特権十六ヵ条を与え優遇した。
今においても、喜連川町民の誇りは、足利氏ゆかりの城下町にあります。
          (喜連川町誌参考)

足利家関係図


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